大学生時分の話をしよう。
次に向かったのは『花嚴葦牙公園』という場所だった。花嚴葦牙らしき銅像が中央に鎮座している。
 
「現時点で判明している事を要約すると、葛西真一は……」
 
翼は頷いた。
 
「ええ。現代まで連綿と受け継がれている葛西宗家の人間よ。彼は当代の長男坊。言わば、家督を継ぐ立場だった」
 
それは凄い、と素直に私は感心した。古墳時代まで遡れる家系を持っているばかりか、その先祖が日本の中枢に居たという途轍もないスケール感。知れば知るほどに、あの横顔に由緒ある気品のようなものを感じられた。
しかし、すぐに私も血筋的には遠くないのだと思い至り、複雑な気持ちになった。まあ…… 元を辿れば日本人のほとんどが源氏か平氏なのである。気にするだけ無駄だ。
公園の出入口側にあった園内マップに目を落とす。近隣の史跡も載っているようだ。花嚴葦牙の墓碑銘の他、葛西氏の墓所の史跡などが点在している。
 
「これを見て、なにか気づく事はある?」
 
「なにか?」
 
私はぼんやりと眺めてから、思った事をそのまま口にした。
 
「円」
 
歪ながらも史跡同士を線で繋いでいくと、円形になっているような気がした。
翼が満足げに微笑む。
 
「良いインスピレーションだわ。何故そうなっているか解るかしら」
 
「さあ。それぞれ時代も異なっているようだから、意図的に配置したわけではないと思うが…… 儀式的な意味合いでも?」
 
長い年月を掛けてでも達成したい、儀式的な、或いは呪術的な意味があるとすれば筋が通るやもしれない。
 
「そうね。一つひとつの史跡の位置は、当時の事情でそうなっただけ。それでも、こうして俯瞰すると、ある意思の存在が見えてくる」
 
陰謀論めいてきたな……」
 
いかにも独会らしい会話だった。
 
「ふふ。もっと現実的なものよ。この史跡達を繋いだ円の内側は、ほとんどが葛西宗家所有の山なの」
 
「これ以上ないくらい現実的だ」
 
「でしょう? 彼らは私有地の発掘調査に非協力的なの。周知の埋蔵文化財包蔵地の認定を受けていない以上、勝手に掘るわけにもいかない」
 
種を明かされれば何の事はないが、胡散臭くも感じた。
 
「先程、葛西宗家が司っているのは神道で、花塚家が司っているのは呪禁道と言っていたが、葛西宗家でも呪術のようなものを継いでいるのかい」
 
翼は妖しく笑うだけで、それについての回答を差し出す事はなかった。
 
「今日は山道を登れるような恰好していないから、もう大学に戻りましょう…… けど、あと一箇所、あなたに見てもらいたい場所があるの」
 
それから私達は、また電車に乗って札幌市内に向かった。
揺れる車内で、私は隣に座っている翼を一瞥した。彼女は向かいの窓から望める景色を見ていた。私も同様にそちらを見やる。流れていく鮮やかな緑に、本格的な夏の到来を感じさせた。
そうしてやってきたのは、札幌市中央区に建立されている神社だった。
札幌水天宮だ。とても大きな敷地に囲まれた場所だった。都市部にもかかわらず、そこだけは喧騒から切り離されて、ゆったりとした時間が流れているようだった。
水天宮には、北口と南口の二つの出入口があった。私達は正面玄関にあたる南口ではなく、北口から敷地内に足を踏み入れた。
 
「糾君。この水天宮について知っている事は?」
 
急に下の名前で呼ばれた事に違和感を覚えつつも、記憶を掘り起こす。
 
天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)を祭神とする福岡県の神社で、ここは分社。ただ、福岡の総本宮とは違って国作大己貴命(オオアナムチノミコト)と少彦名命スクナヒコナノミコト)を祀っていて、特に禁厭に重きを置いているのだとか」
 
「ちゃんと知っているのね。その通りよ。結局、この地でも禁厭…… 呪術が色濃く残っている。ここを建てたのは亘理伊達家の藩主である佐藤源八郎との事だけど、花嚴葦牙の影響も少なからずあったと思うわ」
 
平日の水天宮は人影も疎らで、境内にある背の高い木々が落とす影と、その木漏れ日の中を並んで歩いた。
 
「見て。糾君」
 
翼が指さしたのは、鳥居の前に並んでいる二体の狛犬だった。
 
「これを見て、気づく事は?」
 
「今日はそういうのばかりだな……」
 
「いいから」
 
仕方なく狛犬に顔を近づけて観察する。かなり苔生していて、南口にあるものよりも古いようだ。どこにでもあるような狛犬。向かって右側の狛犬が口を開け放っており、左側の狛犬は閉ざしている。阿と吽。
 
「向かって右側が獅子で、左側が狛犬。だから口以外にも微妙に形が…… なんだ、これ」
 
結構メジャーな豆知識を披露しつつ、二つを見比べていると、妙な事に気づいた。
左右どちらも、やけに顔がほっそりとしている。獅子でも狛犬でもない。むしろこれは……。
 
「狐?」
 
翼が嬉しそうに笑った。
 
「正解」
 
言われてみると、左右どちらも狐だった。
 
「南口に建っているのは獅子と狛犬だけど、北口は狐なの。面白いでしょう? 佐藤源八郎は水天宮を建立したと言うより、元々この地に存在していた別の神社を再建したのよ。元の神社は火災で廃墟になってしまったらしいわ。そして、この北口の狐は元の神社の時代からあったもの。という事は、その元の神社は……?」
 
翼に問い掛けられて、私は納得した。
 
「稲荷」
 
稲荷神社では、狐の像が獅子・狛犬の代わりを務めるのだ。
 
「二問目も正解。そして、その古い稲荷神社を建てたのは、この土地の有力者。葛西党よ」
 
「葛西真一の先祖が建てた神社というわけか」
 
「ええ。稲荷神社は、葛西党の、延いては花路氏の守護神」
 
翼は二体の狐に別れを告げて、境内の石畳に沿って歩いていく。私もあとに続いた。
 
「葛西党の先祖にあたる花嚴葦牙の伝説は沢山あるけれど、その一つに、こういうものがあるの。彼が七三四年に一度目の遣唐使の任を終えて、日本に戻ってくる時、その船には神獣が乗っていたとされている」
 
「神獣? 唐からの帰りという事は、中国由来の何か…… 青龍だの白虎だのといった四神かい?」
 
翼がかぶりを振る。
 
「その船に乗っていたのは、かの名高い九尾の狐よ」
 
「……あの『山海経』や『封神演義』に出てくる?」
 
「そうね。外形は狐のようで、尾は九本。鳴き声は嬰児のようで、よく人間を食う。あの九尾の狐。日本史上の伝説では十二世紀、鳥羽上皇に仕えたとされている女官、玉藻前上皇の寵愛を受けながら、彼を取り殺し、天下を乱そうとした女狐。陰陽師の安倍泰成によって退治されたとされている。元々は中国の殷代に“妲己”という名前で人間に化けて、王を惑わせた化物。その後もインド王朝、周王朝を篭絡させたという大妖怪」
 
「それを日本に連れてきたのが」
 
「花嚴葦牙というわけ。当時の大和王朝にとっては大厄災に他ならなかったけれど、彼の一族である花路氏、そして子孫の葛西党にとっては守護神なのよ。だから稲荷神社を日本各地に建てた。その伝統は、現在でも受け継がれている。ここだけの話よ」
 
翼は人差し指を立てて、意味深な口振りで言い放った。
 
「ズーフィリアなの」
 
「ズーフィリア?」
 
聞き慣れない言葉だ。
 
「葛西宗家の男子は、九尾の狐の夢を見て、精通を迎えるらしいの」
 
反応に困る発言だった。ズーフィリアとは、動物に対する性的嗜好か。ズーフィリアへの理解こそないものの、私も少なからず倒錯している自覚があるだけに笑い飛ばす事もできなかった。人間の性的倒錯には限度がない。
 
「それが葛西宗家の男子の秘跡。そうして精通を迎えた男子は、九尾に授かった狐火を操る事ができるようになるのよ」
 
「狐火…… あの燃焼能力の事か」
 
「葛西君は“フロギストン”と言っていたけれどね」
 
「燃素だったか」
 
「そう。火が燃える現象が、現代のようにしっかり解明されていない時代に考えられていた架空の元素。燃える物質は、そのフロギストンを含んでいると考えられていた。たとえば、木炭。木炭は灰と燃素の混合物と考えられていて、それが燃焼すると、燃素が大気中に放出されて、あとには灰だけが残る。燃素を失った灰は、もうそれ以上燃える事はない。葛西君の持論では、霊体はその燃素…… フロギストンが多量に含まれているらしいわ。だからフロギストンに着火する能力を持つ葛西君は、霊を燃やす事ができる」
 
確かに、それを間近で見せられた。鳥居が寸でのところで逃した女性の霊を、葛西は燃やし尽くした。
しかし、あれは、本当に現実だったのか?
私の記憶には鮮明に残っている。だが、その場に居合わせたはずの独会のメンバー達は誰一人としてその記憶がない。
現実感があるのに、ない。
そんな不思議な感覚だった。
その後、私は翼に連れられて北海道大学札幌キャンパスまで戻って、薬学部の研究棟に向かった。独会の顧問である佐伯十子――ドクターに用があるらしい。
教授や助教授の研究室が並ぶ研究棟は独特な空気が漂っており、居心地が悪かった。大学を、就職までの単なるモラトリアムと考えているだけの学生には重苦しい空間と言える。
人間の居ない薄暗い廊下は、カツカツという足音がやけに大きく響く。
 
「ここね」
 
翼は“触媒科学研究所”のドアの前で立ち止まって言った。
 
「糾君、来た事は?」
 
「一度だけ。目薬の件でドクターに呼ばれてね」
 
「そうだったの」
 
どこか不服そうに呟くと、翼はドアをノックしてから開け放った。
 
「失礼します」
 
雑然とした室内に、ボサボサになった長髪を左右に揺らす女性が居た。
 
「おう。翼に、糾」
 
「お時間を取っていただいて、ありがとうございます」
 
ドクターは机の上のノートパソコンを閉じて、瓶底のような眼鏡を外した。
 
「まあ、勝手に寛いでな。座れるような場所ならどこにでもあんだろ」
 
座れるような……? 椅子らしきものは見当たらないが、山と積まれた書類などがそれなのだろうか。
私が立ち尽くしている一方で、翼は勝手知ったる様子で背の低い棚に腰掛けた。
 
「今日は糾君を連れて花嚴町まで行ってきました。記念館と、公園の史跡を少し見て回りました」
 
「そいつはご苦労な事だな。こんなに暑いってのに」
 
眼鏡が相当重いようで、ドクターの鼻筋に鼻パッドの跡がくっきり残っている。彼女は右手の指先でその部分を摘まむと、ほぐすように動かした。
 
「糾君は、花路氏と、その末裔の葛西党に興味を持っているようです。特に葛西党について。ドクターは葛西党ゆかりの史跡を、幾つも発掘調査していますよね?」
 
「昔はな。今は専ら文献調査ばっかだ」
 
ドクターは、コーヒーらしきものが注がれている紙コップを傾けながら答えた。
 
「ドクター。古墳時代から奈良時代にかけて、花路氏が花嚴地方に勢力を持っていましたが、葛西党という武装勢力が台頭するまで時代が空きますよね。一体どのようにして葛西党が頭角を現したのですか」
 
翼が訊ねると、ドクターは私のほうを向いて口を開いた。どうやら私の為の質問だと直ちに理解したらしい。
 
「お前、日本史は?」
 
「人並み程度には」
 
そう答えると、ドクターは鼻で笑った。
 
「利口な野郎だもんな。多少長くなるが、それでも良いなら話してやる」
 
「是非とも」
 
ドクターは紙コップをデスクの上に置いて、一呼吸を入れてから説明し始めた。