原稿が遅々として進まないので、筆休めに私の近況でも適当に話そう。
 
「紀子さんのように生活態度を理由に面談を行ったのは中等部に一名、高等部に三名だけでした。残る十名はすべて進路相談だったようです。転校手続きに関する生徒もこの中に含まれています」
 
ステラはスマートフォンのディスプレイをスライドさせながら、淀みなく説明した。
進路相談か…… 面談と言えば、私もそちらのほうが想像し易い。
 
「学院の高等部事情については一切分からないのですが、夏期休暇の前から進路相談が行われるのは普通なのでしょうか」
 
「そうですね…… まず、小中高一貫なので中等部で進路相談というケースはほとんどありません。差し引きならない事情があって別の高校を希望する場合はその限りではありませんが、目に余るような素行不良・成績不振などがなければ、そのまま高等部まで進む事ができます。そして高等部における進路相談ですが、実は一年生の春には既に進路説明会、キャリアガイダンスが催されます。そして六月に第一回進路調査が行われるプログラムとなっています。勿論、その時点で進路を決めなければいけない事はありませんが、高等部の生徒は一年生の時から進路に悩まざるを得ない状況となります。とは言え、七割以上が姉妹校の大学に進んでいるのが現状です」
 
「そうでしょうね」
 
あの女学院には、まったく同様の名前を冠する大学が存在しており、そこへの推薦入学制度も用意されている。青山学院や明治大学中央大学などと並んで知名度が高い事もあって、勉学だのスポーツだのに相当力を入れている生徒以外は件の大学に進みたいだろう。
 
「……ステラ先生としては、進路相談で学院に呼ばれた生徒は除外しても構わないと思いますか?」
 
「と思います。自信はありませんが」
 
「畢竟するに、現時点で気掛かりなのは生活態度で呼び出しを受けた中等部の一名と、高等部の三名。計四名。虱潰しに調査できる現実的な数字ではありますが、臨時的に講師を務めていた経歴こそあるものの、私のような人間が片っ端に接触したとあれば面倒事に発展するのは火を見るより明らか…… なにかもう一つ、取っ掛かりとなる要素があれば動き易いですね」
 
たとえば、家庭に問題があれば我が福祉局から児童福祉司を向かわせられる。精神科・心療内科の既往歴、発達障害の診断書があれば心理判定員として私が直に動ける。
果たして、次に私が打つべき一手は何か。
消極的だが、あえて日和見に徹するのも悪くない。うちの狂犬にもそれとなく情報収集するよう頼んでおいたし、そもそもアクションらしいアクションは起こっていないのだ。あと紀子にも話を訊いておきたい。噂として学院内に流布されているのなら、ある意味では当事者とも言える紀子が何も知らないわけがない。先日の一件以来、顔を合わせるのが気まずいのだが。
玄米茶に口を付けながら思索に耽っていると、ステラがこちらの顔を覗き込んでくる。
 
「わたしがもう少し探りましょうか?」
 
私は返答に窮した。
ステラに動いてもらうのが最も自然。だが、本当にそうか? 正直なところ、面談に関して調べてもらっただけでも結構危険な橋を渡らせたのではないかと思っている。彼女が日頃から生徒の諸事情に自ずから首を突っ込んでいく性質ならば、自然と言えたのやもしれない。しかし、学院内における彼女の立場は極めて受動的。生方時雨の件にしても、牧師兼教諭という役回りが運良く奏功しただけに過ぎない。
悩みを聞く事は自然だが、悩みを訊ねる事は不自然。
やはり、しばらくは静観が無難である。
こんな事なら、講師時代にもっと他の教諭と交流を深めておくべきだった。
 
「……とりあえず、今しがた挙げていただいた四名の名前と学年を伺っても? 可能ならばステラ先生の所感もあると助かります。些細な事でも構いません」
 
後半は少々無茶を言った気がする。ステラが職業柄、初等部・中等部・高等部のすべてを見ているとは言っても、学院の生徒数は約千五百名。生方時雨のように宗教委員を務めているとか、そういう関係性が築かれていなければ印象に残らない生徒のほうが多い。
それでも彼女は小首を傾げながら、こちらの期待に応えようと努力していた。
 
「ええと…… ではまず、中等部の子から。白岩有希(しらいわ ゆき)さん。今年度から中等部に上がったばかりの一年生です。特筆すべき事のない善良な生徒。強いて言えば、聖書の授業にはあまり関心がないようです。しかし、敬虔なクリスチャンの生徒のほうが少ないので珍しいわけではありません」
 
「なるほど」
 
その点については仕方ない。何らかの宗教に傾倒する事が快く思われない日本において、真面目に聖書と向き合えと言っても反発を生むのが関の山だ。生徒のほとんどは、「私立だから」という親の意向に付き合わされているだけである。
私にしても東方正教会の司祭という側面こそ存在しているものの、神への信心など燃えるゴミの日に出して久しい。学院に通っている娘達とて、キリスト教に対するスタンスは私と大差ないはず。
 
「あとは高等部の生徒ですが、司祭様も御存じの生方時雨さん。それから高等部二年の南角礼佳(みのずみ れいか)さん。南角さんは先程の白岩さんと真逆で、初等部から聖歌隊などに所属していて、休日に行われるボランティア活動にも前向きです」
 
「宗教委員も務めていたり?」
 
ステラはかぶりを振った。
 
「それどころか、生徒会の一員として初等部の生徒に向けた学校説明会を開催したり、留学生の歓送迎に奔走したりと、非常に優秀な生徒ですね」
 
「そこまで優秀な生徒が、生活態度を理由に呼び出しを受けたと」
 
「そう、なりますね……」
 
南角礼佳。ステラの説明を聞く限りでは、怪しいところはない。紀子と同様に注意喚起されただけか?
 
「念の為に訊きますが、その南角礼佳が所属している聖歌隊とやらは学院が運営しているのでしょうか」
 
「いいえ。運営については学院のOGが立ち上げた『礼拝堂聖歌隊』が行っています。入隊にはオーディションが必要だとか。ただ、関係者以外は練習風景を見る事もできないので詳しい事までは…… 一応、学院内で行われる宗教儀式の聖書朗読でご一緒した事がありますが、その時も礼拝堂を貸し切って練習されていました」
 
「熱心な事で。では、聖歌隊が対外的な…… 所謂“コンサート”などを催す事は?」
 
「それはないようです。聖歌隊活動は学院内のみで、飽くまでも宗教音楽の理解を深めるのが主な目的と謳っています」
 
熱心な割りには、随分と閉鎖的なコミュニティだ。犯罪の温床となるにはうってつけだが、流石にそこまで踏み込んでの調査は一般人が行うべきではない。仮に調べるとしたら、専門家、若しくは無法者の手を借りるしかない。
何人か心当たりはあるが…… 嫌だな。単純に会いたくない。貸しは作っても、借りは作りたくないし。
その時、局長室の扉がガタガタと微かに揺れ動いた。風が吹き込んだわけではない。ドアノブも沈黙を保っている。
聞き耳を立てているのか? 暇にも程があるだろう。せめて、オフィス内の清掃くらいやってもらいたい。
若干憂鬱になりながらも、私は続きを促した。
 
「最後の、四人目の生徒はどうです?」
 
「生方時雨さん、南角礼佳さんと同じく高等部二年生の小春陽(こはる あきら)さん。小春さんだけが、この三ヶ月で都合四度も面談を受けています」
 
「……四度? すべて生活態度で?」
 
ステラが頷いた。
生活態度で四度も呼び出しを受けるのであれば、それは本当に生活態度が問題なのではなかろうか。だとしたら相当な問題児だが。
 
「実際、授業も部活も心ここに在らずといった様子です。今年度になってから急に。注意されると猛烈に怒り出して、教室から出ていってしまう事も」
 
「それは興味深い…… ん? その口振りからすると、ステラ先生とも近しい間柄の生徒ですか?」
 
「はい。小春さんがわたしをどう思っているか分かりませんが、以前は頻繁に礼拝堂まで顔を出してくれていました。それに南角さんに負けず劣らずの、学院内での人望が厚い生徒で、成績優秀。部活動でも…… 剣道部に所属しているのですが、数えきれないくらい表彰されています」
 
態度の急変。見方によっては紀子と似ている。
 
「今年度になって礼拝堂には?」
 
「一度も」
 
そう言ってステラは寂し気に視線を落とす。
 
「それまでは頻繁に顔を出していたとの事ですが、理由は?」
 
「人生相談とでも言うのでしょうか。年頃の女の子にはよくあるような、可愛らしい悩みです。あとは不思議とわたしに関する事を沢山訊いてくる子でした。お化粧や衣服、生い立ちまで…… いろんなお話をしました」
 
なのに、突如として一度も会いに来なくなった。
恐らく、人生相談が五割。ステラそのものに会いたいという想いが五割だったのではないか。私が講師として学院に在籍していた期間は短かったものの、生徒達が寄せている、ステラに対する信頼や羨望は極めて大きかった。女学院という特殊な環境も後押しして、もはや憧憬を越えているような生徒も……。
小春陽なる生徒がそれに該当するか否かは兎も角、目立った変化のない白岩有希、南角礼佳とは違って、明確に態度を変えている。
現時点で最も探りを入れ易いのは、小春陽。
問題は方法だが…… とりあえず、切りやすい手札から切っていくとしよう。ちょうど様子を見ておきたかったところだ。
私は椅子から立って、ステラに頭を下げた。
 
「ありがとうございます。お忙しいところ、無理を言って申し訳ありませんでした。おかげさまで方向性は決まりました」
 
「いえ。司祭様のお役に立てたなら何よりです」
 
花が咲いたように綻ぶとは、まさにこの事を言うのやもしれない。
目が潰れんばかりの眩さを放つステラの笑顔を受けつつ、有難く平らげた弁当箱の蓋を閉める。
名残惜しい。温かみのある昼食にありつけるのは、ステラの手が空いている日曜日だけ。しかしながら、「毎日食べたい」と伝えてしまえば本当に無理してでも作ってきそうなので、我儘は言わない。
 
「司祭様」
 
「はい?」
 
先程とは打って変わって不安に揺れる表情がそこにあった。
 
「危険な事は、絶対に避けてくださいね」
 
それは、向こうの出方次第になる。
心の中で呟いた。